豆知識,アメリカの中東政策
アメリカは 第二次大戦後,中東に干渉するようになったのですが,いつ頃かは 明確にわかりません。
ただ,皆さんも良く承知している様に,「アメリカが世界的なトラブルメ−カ」として干渉を始めたのは イランからです。
1. 第二次大戦後,イランは 世界の原油の半分を輸出していました。
この原油を狙って,軍事力を発揮してアメリカは イランにパレビ国王を立てて,イランの原油の全てを仕切るようになりました。(国王による傀儡政権政策)
この為に,国王の一族とアメリカよりのイラン人は 分け前を豊富に受け取り,イスラム教からはずれアメリカナイズした豊かな生活をしましたが,ほとんど全ての国民は 貧困のどん底生活をしいられました。
この状態は 戦後,約25年間続きましたが,世に云う「イラン革命」が起きて国王一族とアメリカのメジャ−は 追い払われました。
宗教指導者「ハメネイ氏」は 最初に言った言葉は 「イランの資源は イラン人のものである」と言う言葉でした。
それに対抗して,アメリカがとった行動は 世界最大のテロ国家イランの呼称でしたし,経済制裁という原油の輸出制限などの対抗策でした。
2. しかし,アメリカの対抗策にイランがへこたれないので,隣国のイラクに軍事援助をして,良く承知してる「イラン/イラク戦争」を起こさせました。
この戦争は 約3年間に及びましたが,結果は 引き分けでおわりました。
アメリカの目論見,代理戦争による権益の奪取に失敗したのです。
この戦いの為に,イラクは 国力を落としましたし,典型的な軍事国家に変質してしまいました。
(イラクが軍事国家に変質したのは アフガンのタリバンと同じ様にアメリカの援助によったのです。)
イラクの主な輸出産業は 原油だけですから,これを増加させなければなりませんが直ぐには 出来ません。
ただ,イラクの場合,目の前にクエ−トがありましたので,これを自国の領土に回復すれば収入を増加することが出来ます。
このクエ−トは もともとイラクの領地でしたが,イギリスが分割して取り上げ実質支配していてアメリカとイギリスの石油権益(クエ−トと沖合の石油資源)となつていました。
従って,イラクとして増収を計るには クエ−トの土地を回復させる為に侵攻しなければなりません。
そこで,軍事援助をしてくれたアメリカを味方と誤認してアメリカ政府に内々に打診して,了解の感触を得たので攻撃を開始しました。
この時,イラクの指導層は 誤解をしていました。
アメリカは 中東でイラクが軍事大国になることを警戒していましたので機会があれば戦争してたたこうと考えていましたし,イラクの石油権益がかってのイランの様に奪取しても間接支配が出来そうもないことを承知していましたので,何か言いがかりを付ける方法がないか狙っていたことを知りませんでした。
よしんば,クエ−トをイラクが支配しても,アメリカの利益になりませんし,アメリカの意のままにならない中東での国家の増加を喜んでいませんでした。
その時のイラクの相談ですから,「アメリカの大使」は 待ってましたとばかりに了解の合図をだしました。
(この謀略は 数多く語られていますから承知していると思います)
ところが,イラクが味方と思っていたアメリカは イラクを侵略国家/テロ国家と世界に偽の情報を製作して宣伝を始めましたし,イギリス/アメリカを中心にした連合軍を造り,承知している「湾岸戦争」と呼ばれる戦いを起こしました。
この謀略にイラクが気が付いた時,既に遅く,戦いにいたりました。
この時,イラクは 「聖戦」を云いましたが,形式的には クエ−トを侵略したことになっていましたので,支援もなく皆さんの承知している結果になりました。
勿論,アメリカとイギリスは 石油権益を山分けして,イランのパレビ国王の時代と同様の間接支配をしていますし,イラクが戦力を盛り返しクエ−トの権益の奪取に向かわないように軍事監視の為の戦闘機を飛ばしています。
なぜ,中東のイスラム教徒の国民がアメリカを嫌うか!
お分かりになるかと思います。
パレスチナの問題もありますが,アメリカの中東政策そのものが「自国の利益のみを計り共に栄えることをしなく」「仁義無き戦い」にちかく,タリバンの対応にもみられる様に「信義と仁義を重んじる」人々にとって耐えられなく過激派が過激な行動に走り,アメリカとアメリカ人をタ−ゲットにする組織が生まれる原因でもあるのです。
勿論,国民からみれば,アメリカの傀儡となった政府やむ国王達は いわば売国奴ですし,宗教的にもイスラムの教えを守らない異端の人々になりますから,イランの様に状況が整えば倒されるでしょう。
戦争のゲ−ムは 続く
神(サタン)の意図が読めますでしょうか!